日テレアナウンサーの桝太一さん、同志社大学の専任研究所員に転職されるんですね。
人生100年時代の新しい働き方なのでは…!?と興奮気味です。
以下は私の勝手なキャリア構築の考察です。
ご経歴は東京大学農学部卒、現在40歳、1社経験のアナウンサー。
昆虫学者になりたいという思いから受験時に理系に転換、大学院ではアサリの研究をしていたそう。
今後はサイエンスコミュニケーションと呼ばれる学問分野へ。
そして『真相報道バンキシャ!』のキャスター自体は継続し、分かりやすく的確に科学を伝える方法を番組を通して一緒に考えて実践していくことを目指す。
これは複業として、王道にして至高!
桝さんの今後の在り方や研究が、社会にとっても前職にとってもプラスになる。
このままだと2万字は書けそうなので(笑)、ポイントを絞ります。
①過去の意思決定に意味づけを、偶然をチャンスへ
桝さんが学生時代、博士課程へ進まずアナウンサーになった理由を調べてみると
・大学院にはすごい人たちがたくさんいて、自分は研究者として一流になれないと思った
・難しい科学などの話をわかりやすく伝える懸け橋にはなれるのではないかと思った
と記載されていました。
また「社会と科学を繋ぐ架け橋が必要」という考え自体は高校生の頃から持っていたとのこと。
当時自然現象を相手としたレポーターを志望していたものの、プロレスのレポーターでデビュー。
石の上にも三年、という言葉が曲解してまで使われるのにはこのような好事例が確かに存在するからなのでしょう。
将来の具体的な希望や細かい計画を立てたとしても、目指していた事と違った仕事になることがほどんど。(プランドハップンスタンスセオリー:個人のキャリアの8割は偶然で決まるという理論があります)
勘違いされていらっしゃる方が多いのですが、キャリア構築というのはこういった細かい計画を立てるものではありません。時代も会社も個人も変わります。
偶然は自分の生き方を支える意味付けになり、チャンスに変えることができます。
桝さんは好きな事を忘れず向き合い続け、ちゃんと周囲に発信してきたんでしょうね。
それを受け取った人たちによって、信頼と期待を込めて未経験枠での道が拓かれたのだと思います。
頑張ってきた時間は絶対無駄でなく、悲観する必要もありません。
自分と向き合って、目指す姿が見えたから踏み出せる世界、新しい選択肢があります。
経験を積んだことで「今の自分だからできること」が浮き彫りになったように思います。
②キャリアと家族
せんのみなとでも大切にしている、キャリアと家族のお話。
転職について奥様に早い段階で相談をしていたそうです。
社会に貢献しようとする意図が明確であったこと、また奥さんもフルタイムで働く共働きということもあり「もし転職がうまくいかなくても何とかする」と言ってもらえたそうです。
家族にそう言ってもらえる努力をすることは、意外と大変です。
夫婦でもやりたいことや本音を話せていなかったり、時間が経つにつれて言いづらくなる家庭もあります。
フリーアナウンサーへはかなり反対されていたそうで、ちゃんと本音で話し合えていたからこそ、一緒にがんばろうという決断になったのかもしれません。
③現職での悩みから磨かれたビジョン
これまで様々なジャンルで伝える仕事をする中での共通して考え悩み続けてきたことは、
「どうすれば、もっと適切に科学を伝えられて、より良い社会に貢献できるだろう?」
→つまり、「適切に科学を伝え、より良い社会に貢献する」
これが桝さんのビジョンなのではないか…!
社会貢献性、これがとっても大切だと思います。
どんな生き方をしようと人それぞれですが、自分勝手に相手目線のない好きな事をやっていても虚しくなります。
世の中で必要とされていることでないと、独りよがりになり、長続きしません。
伝え手のプロとして現場を経験したからこそ、やるべきことが見えた。
好きな事を極めながら実践し、社会貢献ができる道を選んだんですよね。
このビジョンがあればどんなキャリアになっても軸がぶれることはありません。
科学好きの20年と伝え手としての20年を掛け合わせて、自分にしかない形で社会に貢献できるのではとのことでした。
できると思います!できる世の中であってほしいです。
そして最終目標は「理系版の池上彰さん」→誰が聞いても分かるイメージも大事。
思いの具体と抽象をくり返した上でキャリアに繋げた、大変分かりやすい例。
株式会社せんのみなとでやっていることは、ビジョン構築と具体的な行動施策の支援まで。
例え東大でなくても、理系でなくても、アナウンサーでなくても
似たような考え方のプロセスで人生100年時代のキャリアを構築することができます。
これぞキャリア開発!キャリコンの方々の心が揺れ動いたのではないでしょうか。
以上、私の勝手な桝さんキャリア構築考察でした。